メルマガ色鉛筆第221号「ひとすみの雪かき」
タイトル 「ひとすみの雪かき」
ペンネーム チュニジアンブルー(60代 弱視 男性)
★レポートの要旨です。
前年の暖かな冬から一転、今シーズンの列島は幾度となく寒波に見舞われ、「色鉛
筆」愛読者の皆さんの中にも、雪で苦労された方もいらしたでしょうね。
今回は、北国で雪かきに汗する緑内障のおっちゃんが、「酒とバラの日々」ならぬ「
酒と雪とふれあいの日々」を語ります。
★ここから本文です。
「あれ、何に見えますかね」。
東北の片隅の街にいたころ、建設業を営む彼は笑った。
まだ晴眼者だった私は彼に酒を注ぎながら「雪ですねえ」と呟いた。
即座に「お金ですよ」。
冬場は除雪をお役所から請け負う彼の実感だった。
あれから30年の歳月が流れ、私は左目視力ゼロ、右目0.2くらいで生きている。
今日も雪が降る。
玄関の郵便受けのあたりにラジオを置き、家の前の雪を強化プラスチックのシャベル
で片付けて行く。
時折、吹雪でもないのにあたり一面白く見え、方向感覚を失う。
そんな時はラジオの音が頼りだ。
あっちが玄関だからこっちがお隣さんの家、頭で方角を確かめる。
汗を流してから痛む腰を撫でつつシャワーを浴びて缶ビールで生き返る。
そんな日々を支えるのは、一昨年12月にアフガニスタンで凶弾に倒れた医師の中
村哲さんの言葉だ。
貧しい農民たちのために、農業用水路建設に精魂傾けた彼は「一遇を照らす」を座右
の銘にしていたという。
世界的に有名になるとか、派手な業績で耳目を集めるわけではない。
この世界の一遇、片隅をどうにかして明るくしたい、と言う気持ちが滲む。
そうだ、雪かきしてもこれがお金になるわけではないが、視覚障害者の私でも、一遇
の、ひとすみの雪かきならできると思い付いた。
ごみステーションの前や、転勤で無人の隣家の前の雪かきなどを少しずつでもやって
みた。
見えない私が雪かきしていると、今まで話したこともない方々が
「お疲れ様です」
「いつもありがとうございます」
「そこに大きな雪の固まりがありますよ」
などと声をかけてくる。
嬉しいなあ、一人じゃなかったんだと思えてくる。
雪は地域の人々との御縁を深めてくれた。
民生委員のAさんたちが、近所の障害者の家の雪かきをしていたことを知った。
皆さん、がんばっていたんだ。
白杖を振って雪路を歩く私のために、道路脇などを雪かきしてくださっている方がい
たことも知った。
私はそっと助けられていたんだ。
吹雪の十字路で右も左も分からなくなりかけた私の左腕を引き寄せ、安全な場所に
導いてくださった女性もいた。
温かく力強い手が、ありがたかった。
今日も雪が降る。
雪は寒いもの、冷たいものではあるけれど、でもね、人の心をあったかくしてくれる
ような気もするんだなあ。
まあ、大それたことは思わないで、ひとすみを雪かきして生きていければいいなあ。
今なら、あの30年前の彼の問いかけになんと答えるだろうか、そんなことをぼんや
り考えながら、琥珀色の液体を五臓六腑に流し込む。
編集後記
何を置いても、グイーッと一杯、雪かきおつかれさまです。
ハァーッと一息、汗もシャワーもそっと知る思いやりも、全部体に沁みてきます。
30年を経て、雪が舞う空を見上げ、思いをめぐらす、そんな雪便りに、小林一茶の
俳句が重なりました。
「うまそうな 雪がふわり ふわりかな」
ひとすみの雪かきをして生きていきたいと語るチュニジアンブルーさんに雪はあった
かいものでもあると教えてもらいました。
ひとすみに思いを寄せることは実は深い、こちらもグイーッと沁みてきました。
寒いけど、さらに一茶で、
「紫の 袖にちりけり 春の雪」
京都から春便りです。
-- このメールの内容は以上です。
発行: 京都府視覚障害者協会
発行日: 2021年2月26日
☆どうもありがとうございました。