メルマガ色鉛筆第178号「だれがこおりをとかすの?」

タイトル 「だれがこおりをとかすの?」
ペンネーム 春色の毛布(50代 女性 弱視)
 レポートの要旨です。
 保育士だった私、天職だったのに、こどもがこんなに好きなのに。
くやしい、悲しい、どうしていいかわからない、とりあえず訓練を受けることに
したけれど。
いろいろ受け入れれば楽になる、頭ではわかっているけれど、それがとても難し
くて。
 葛藤の中、ふと手にした色鉛筆、何気ない対話、音楽、
小さなきっかけから再びかつての大切なものと出会うことに。
 大好きな絵本の世界と重ねながらお話します。
 ここから本文です。
 「だれがこおりをとかすの?」、
それは、レオレオニの絵本『フレデリック』をもとに作られたとてもかわいい歌
です。
私はこの歌が大好きでした。
この歌をお昼寝の時に歌い、スヤスヤ眠りにつくこどもたちの姿を見ることに幸
せを感じていました。
私は保育士として20年余の年を重ね、天職と感じていました。
 2年前の夏、仕事中に目に異変を感じ、手術を受けましたが、視力は回復しま
せんでした。
園長は私の復職を願ってくれましたが、翌年の3月には退職せざるを得ませんで
した。
こどもの安全を大切に考えると、つらくても苦しくてもこの選択しかありません
でした。
 そんな私を、友人が夜桜見物に連れ出してくれました。
また、姉から「長いことお疲れさまやったね」とやさしい言葉をかけてもらいま
した。
2人の気持ちに涙がこぼれました。
 私は大好きな保育から離れ、いくつもの思い出にカギをかけてしまいました。
歌うこと、絵本を見ること、ピアノを弾くこと。
大好きだった絵や文字を描く用具はほとんど処分してしまいました。
 ある日、私はかつての職場の先輩に呼び出されました。
けっして言ってはいけない「死」という言葉を口にした私に、
先輩は「その気持ちはわかるよ。
でも、世の中にはまだ知らないおいしいものや楽しいことがあるよ。
それを味わってからでも遅くないんじゃない」と言ってくれました。
 またある先輩は、ふさぎこむ私に一喝。
「ライトハウスを頼りなさい!。
視力が悪くなったからではなく、あなたにとって何が見えるか、できることは何
かを確かめるために」と。
 京都ライトハウスはかつての職場に近く、
私の姿をこどもたちや保護者の方に見られることに強い抵抗がありました。
けれど、叱咤激励してくれる先輩が背中を押してくれたおかげで、
私は京都ライトハウスにつながることができました。
私の固くなった心に寄り添うように、さまざまなことを学ばせていただきました

 そんなある日、京都ライトハウスの近くで、卒園児のお母さんから声をかけら
れました。
「先生!」、忘れかけていた私の呼び名でした。
私は、そのお母さんに言葉少なに笑い返すことしかできませんでした。
自分の現状を話すことができなかったのです。
でも、どこからか神様の声が聞こえた気がしたんです。
「もうそろそろいいんじゃない?。
あなたが思うほど周りはあなたばかりを見ていないよ。
そのままの自分を伝えたら?」と。
 ほどなく、京都ライトハウスを練習会場にしている和太鼓サークルに参加する
ようになりました。
バチを手に太鼓をたたくと、以前習っていた感覚がよみがえりました。
心と太鼓の鼓動が重なり合い、心地よい時間が流れました。
 秋に開催された京都ライトハウスまつりでは、その演奏を披露させていただき
ました。
訓練士さんやかつての同僚たちも見に来てくれました。
私は、例えようのない喜びと心強さを感じました。
また、演奏を終えた私に、保育園の時のお母さんが何人も声をかけてくれました

私は、現状を隠さず話すことができました。
 もう私は大丈夫です。
和太鼓の再始動をきっかけに音楽への関心が広がっていきました。
保育園でこどもたちと歌っていた歌を口ずさめるようにもなりました。
 ある時、『高校2年生と魔法の杖』というすてきなお話にイラストをつける機
会をいただきました。
水彩色鉛筆というものを訓練生の友達から教えてもらい、
目をこらして描いた絵に色つけもしてみました。
これをきっかけに、避けていた書店の絵本コーナーにも行けるようになりました

 習い始めた点字を読む練習にと、点字つき絵本の『フレデリック』を借りまし
た。
こどもたちにリクエストされて何度も読んだ『おつきさまこんばんは』も借りま
した。
絵本を手にしたとたん、なつかしい友達に出会ったような温かい心持ちに包まれ
、涙があふれました。
 周りの方々の力を借りて、できるようになったこと、チャレンジしたいと思え
ることが多くなってきました。
だれがこおりをとかすの?、私は多くの方に支えられ、
小さな心のこおりを一つ一つとかしています。
今は、いちばん大きなこおりであるピアノを弾いてみたくてしかたありません。
 年長組を担任していたころ、ピアノが得意ではなかった私は、
仕事を終えてからよくピアノを練習していました。
するとクラスのももかちゃんがそっと横に来て、「だれがこおりをとかすの?」
をかわいい声で歌ってくれました。
その声や光景は、今でも私の心の中でいきいきと輝いています。
 もしもあの神様が私の目の前に現れてくれたなら、私は祈ります。
「もう一度こどもたちと歌をつむぐことのできる、そんな瞬間を、いえ、そんな
時間をください」と。
もしこの願いがかなったのなら、
私はこおりをとかすような温かな思いをこめてピアノを弾くことでしょう、
涙の先に陽だまりを描いて。
 編集後記
 大好きだったこと、天から与えられた大切なものを失ったとしたら、
今あるすべてをゼロにしたい、死がよぎる、それはありうることでしょう。
大好きなこと、天から与えられた大切なものを再び手にすれば、
どうにか動いてみる、なんとか形にしてみる、それもありうることでしょう。
 かつてと同じでなくても、うっすらとでも実感をともなうものを手にすること
ができれば、
ほんの少しだけ様子が変わるようですね。
そして、「そろそろいいんじゃない?」と、やさしい声も聞こえてくるようです

 こおり、それはそれぞれの中にあるのかもしれません。
だれが、いつ、どこで、どんなふうにこおりをとかすのか、
とけないこおりとはどんなものなのか。
また、あるがままにふれていければと思います。
-- このメールの内容は以上です。
発行:   京都府視覚障害者協会
発行日:  2019年12月20日
☆どうもありがとうございました。


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