メルマガ色鉛筆第175号「私と京都ライトハウス」

タイトル 「私と京都ライトハウス」
ペンネーム フェルメールブルー(70代 女性 弱視)
レポートの要旨です。
 私の晩年予想図にはなかったこと、それは突然に起きました。
見えなくなるかもしれない絶望と悲しみ、
見るものすべてを処分しても、逃れられない困難な日々は続きました。
もう一つの突然は、ロービジョンケアとの出会いでした。
以来、ゆくべき道へ導かれ、時ぐすりがゆっくりとわが身にしみてゆきました。
しかしながら、老いの中での技術獲得は、努めても実にもどかしきものでした。
そんな私の亀の歩みはたくさんの方の温もりに支えられていました。
心からの感謝をこめて、織りなす思いをここに遺します。
ここから本文です。
 京都は、四季折々移ろう風景・音色・香りに息吹を繋いだ瑞々しさ溢れる古の
街です。この歴史ある佇まいの中に凛として「京都ライトハウス」はあります。
ここでは障害を背負いつつ幅広い年代の人々が訓練を受けています。
他府県や通所困難な人には寮も完備しています。
ランチは少し薄味ですが、メニューは豊富で美味しいです。
訓練は点字・パソコン・織物・歩行・iPhone・ADL・体育・墨字と数多くありま
す。
また、サークルでは社交ダンス・俳句など積極的に活動しています。
京都ライトハウスの施設と訓練の充実は日本一だと聞きました。
この素晴らしい環境の中で訓練を受けていることが誇らしいです。
 今から4年前の秋深き頃、突然視覚障害に繋がる大変なケガをしました。
人生もラストランに差しかかる頃、視覚障害者になるとは
私の晩年予想図にはありませんでした。
病院で、医師は大きなため息をつかれ「治療はiPSしかありません」と、
胸の鼓動が耳まで響きました。
無言の私に「希望は持って下さい。私も支援します。」との医師の言葉も空しく

絶望と悲しみが伴い身の竦む思いでした。
パソコン・書籍・アルバム・趣味の切手など
目を必要とする物は全てシンプルに整理しました。
薄れる視力に折り合いをつけても私には、逃れられない現実があります。
実母98歳の老々介護と自らの余命です。
厳しい現実は重く横たわっています。
雪が溶けたら土が見えるように「時ぐすり」が緩やかに私を救ってくれました。
 ある日、病院でロービジョン外来を受診しました。
そこで視覚障害者として今後の在り方と、ライトハウス・同行援護・白杖・家事
援助の
情報を得ました。
担当の方から「一緒に頑張りましょう。」と優しいお声でエールを頂きました。
すると過日、空しく聞いた医師の言葉は励ましのメッセージへと移ろいでいきま
した。
 ライトハウスへは躊躇うことなく通所しました。
点字・パソコン・文章講座・織物と訓練を受けています。
初めて訓練を受けた日、心が震えるほど驚いたことがありました。
全盲の先生がおられたことです。
視覚障害者としてニューフェイスの私には俄に信じられませんでした。
見えないのに立派にお仕事されていることは、私にとって大きな支えになりまし
た。
点字は左手人差し指先端で読みます。
既に感覚の鈍った指先は点字とリンクしません。
1点2点は読めますが、単語や文章になるともうお手上げです。
大きく躓いた私を見兼ねた先生は馴染みある歌謡曲の点字を用意して下さいまし
た。
また、マウスの代わりに音声を聞きながらのパソコン操作は決して容易ではあり
ません。
体力・気力・記憶力も萎えている私には技術獲得は忘却との闘いでもあります。
織物は視覚障害者でも扱える織機「フラミンゴ」を用います。
縦糸を巻き付け、シャトルに巻いた横糸で、左右に織ります。
教えて頂くボランティアの方は全盲で、指先の感覚だけで糸を巻いたり
絡んだ糸をほぐしたりされます。
そのお姿から、もしかして晴眼者ではないのかと大きな驚きを感じました。
 訓練を受けるうちに気が付いたことは、ボランティアの方々が多いことです。
点字・パソコン・織物は自らも視覚障害者なのにボランティアとして活躍されて
います。世のため、人のために立派にお役を果たされています。
もちろん晴眼者の方も大勢おられます。
実は私は点字が苦手です。
しかし、この苦手な点字から逃げたくないもう一人の私がいます。
そこには、ボランティアの方々との心温まるふれあいがあるからです。
この大切な空間を共有できることにこの上ない喜びがあります。
またライトハウスの中では、図書の音訳・点訳・校正・テキストデイジーの製作

図書館では貸出作業・発送作業・読み書きサービス・対面朗読が備わっています

これら全てボランティアの皆さまで成り立っています。
私たち視覚障害者はこうしたボランティア精神に溢れる支えを頂いております。
改めて心込めて感謝申し上げます。
 歎きながら視覚障害者になりましたが、素晴らしい恩恵に余りあるものがあり
ます。
神さまは私に視覚障害を与えられました。
では乗り越えてみせましょう。
連日、大勢の方が京都に憧れ、入洛されます。
世界に誇る観光地としての京都だけでなく、
見えない、見えにくい私たちに優しい京都に生まれ育った私です。
麗しき令和と共に晩節までこの地で余生を過ごしたいです。
この齢でこの私に何ができるのか分かりません。
道標はまだぼんやりとしていますが、視覚障害者になって引きこもっておられる
人々に、今の私の在り方を分け持てられたら嬉しい限りです。
不自由に慣れつつゆるりと織物を楽しみながら、
「古の支え合い」を紡いでいけたらと願っています。
編集後記
 フェルメールブルーさんはパソコンの入力練習を兼ねて思いを遺すことに取り
組まれ、
それが今回のご縁につながりました。
正しく文字を打つだけで精一杯、一文字ずつ音声で確認するだけで精一杯、
やっと、できたと思っても、漢字変換のミスがちらりほらり。
根気強く確認しても誤字、くやしさとの格闘であったそうです。
さらに自分の思いを伝えるための表現への挑戦、
書き直しをくりかえすことはまさに「老体に鞭打つ」体験であったかもしれませ
ん。
何層にも重ねられた糸で綴られた織物のように、
作成秘話も含めた色合いを、ゆるやかに添えた分かち合いです。
-- このメールの内容は以上です。
発行:   京都府視覚障害者協会
発行日:  2019年11月29日
☆どうもありがとうございました。


現在、シンプルな表示の白黒反転画面になっています。上部の配色変更 ボタンで一般的な表示に切り換えることができます。


サイトポリシー | 個人情報保護方針 | サイトマップ | お問合せ | アクセシビリティ方針 | 管理者ログイン