メルマガ色鉛筆第170号シリーズ 「コーラスあおいとり」2

シリーズ 「コーラスあおいとり」2
メルマガ色鉛筆編集チーム
 こんにちは。
メルマガ色鉛筆編集チームです。
 視覚リハビリテーションの中から生まれた活動を共有します。
 京都ライトハウス鳥居寮には文章講座という訓練科目があります。
グループセッションを通して自己表現をワイワイ楽しむ時間です。
そんなにぎやかな講座を修了された方が集う場があります。
文章講座修了者の会あおいとりです。
文章を書いたり読んだりを重ねながらつながっておられます。
 あおいとりから生まれた作品テーマ「コーヒー」に現役訓練生さんが飛び入り
参加されました。
OBさんと現役さんの言葉のコーラスをお届けします。
見えない・見えにくい、それがきっかけで同じふるさとを持つ人たち。
そんな皆さんの思い、やさしいピヨピヨカッコーをどうぞ。
あおいとりレポ2 今はない喫茶店
ペンネーム クリスタルのイルカ(40代 女性 全盲)
 私は、昔はどちらかというとコーヒーより紅茶派だった。
喫茶店に行っても、頼むのはいつも紅茶かジュースだった。
コーヒーはブラックだと苦くて飲めないし、
砂糖とミルクを入れると甘くなりすぎてやはり飲めない。
だから、喫茶店に行ってもコーヒーはほとんど頼むことがなかった。
 それが、今はない喫茶店のおかげでコーヒーを好きになることができた。
そこは私にとってお気に入りの喫茶店だったはずなのに、
あのお店の名前が今も思い出せないでいる。
 学生時代、友達が「木の香りのするかわいい小さな喫茶店があるよ」と教えてくれた。
その喫茶店は、新京極を四条通から北へ少し入ったところにあった。
看板が見つけにくくて、よく通り過ぎてしまった。
ロンドン焼きのお店が目印で、その先だったか手前だったか、
首をかしげながら探したものだった。
 やっと地下への階段を見つけ、狭い踏み板を注意深く下りた。
木のドアを押すと、カランコロンとドアベルが店内に鳴り響く。
「いらっしゃいませ」。
いつも温かな女性の声が出迎えてくれた。
それに続き、小さなキッチンからはやわらかな男性の声も聞こえてくる。
ご夫婦なんだろうなぁと勝手に考えながら、店内を見回して座れるところを探す。
 狭い店内には、小さな木のテーブルと木のイスがちょこんと置かれていた。
4人がけのテーブルが三つに2人がけが二つ、15人座ったら満員になってしまう。
 お客さんのほとんどが若い女性客だったが、たまにカップルもいた。
彼氏らしき男性が落ち着かずにそわそわしながら座っているのがなんだかおかしかった。
 いつ行っても少し待つことが多かったが、
お客さんの様子を眺めながら並ぶのも楽しいものだった。
 やっと案内された席に腰をかけ、友達と一緒に注文を確かめる。
「何を頼む?」。
「やっぱりコーヒーだよね」。
私たちがメニューも見ずに示し合わせたように頼むのは、ほかならぬコーヒー。
 しばらく待つと、心待ちにしていたものを奥さんと思われる店員さんが運んできた。
「お待たせしました。コーヒーとカップケーキです」。
「あっ、今日はチョコチップみたいよ」。
 お客さんのお目当ては、店内の雰囲気だけではなかった。
ここのお客さんのもう一つのお目当ては、
コーヒーに添えられた小さな手づくりのカップケーキだった。
カップケーキはプレーンだったりレーズンだったり、日によってさまざまだった。
コーヒーだけにカップケーキがつくので、ほとんどの人がコーヒーを頼んでしまう。
といっても、紅茶やジュースがおいしくないということではない。
コーヒーのいい香りとこのご夫婦の手づくりのカップケーキの誘惑に、
ついついみんな負けてしまうのである。
 「今日もいつもと変わらずおいしいね」。
「うん、相変わらずおいしい。ここに来るとホッとするよね」。
笑顔でカップケーキを食べる私たちを見て、ご主人も奥さんもとてもうれしそうだった。
カップケーキ目当てに来る私たちに声をかけて、
時々お土産にカップケーキをくれることもあった。
優しそうなご主人と奥さんの温かさに会いたくて、私たちは何度もこの店を訪れた。
 やがて、私たちは成人して働くようになった。
それと同時にお互いに忙しくなり、ゆっくり会える時間も少なくなった。
私も友達も自然にその喫茶店に行く回数が減っていった。
私は、いつの間にかその喫茶店のことを忘れてしまっていた。
 ある時、友達が「久しぶりにあの喫茶店に行ってみようよ」と声をかけてくれた。
私も急に懐かしくなり、行ってみたくなった。
 そこで、さっそく友達と新京極を行ったり来たりして探してみた。
ロンドン焼きのお店はあるのに、喫茶店らしいものはいくら探しても見つからない。
あったはずの喫茶店の看板も下に下りる階段もなく、
そこは洋服屋さんの建物に変わっていた。
 「あの喫茶店、どこ探してもないね」。
「うん、私たちが行かない間になくなっちゃったんやね。
もう一度あのカップケーキ食べたかったな」。
 最後にご主人と奥さんにお礼が言えなかったのは、今でも心残りである。
あの時のコーヒーとカップケーキのおいしさは、何年たっても忘れることはない。
時は流れ、目印だったロンドン焼きのお店もなくなった。
 私は、これまでいろいろな喫茶店に行ってみた。
けれど、何度も行ってみたいと思える喫茶店に今も出会えないでいる。
それでも、コーヒーのおいしさは以前より少しだけわかるようになった気がする。
今はない喫茶店のように温かでホッとできる場所を、いつか見つけたい。
そして、おいしいコーヒーと素敵なマスターに出会えたなら、
今度こそ「ありがとう」という言葉をちゃんと伝えたい。
 ここからは現役訓練生さんの登場です。
タイトル コーヒータイム
ペンネーム フェルメールブルー(70代 女性 弱視)
 ゆっくりコーヒータイムをしてみたいと感じた時、思い浮かぶ喫茶店が2軒あります。
一つは、寺町二条のDECOY。
もう一つは、花屋町通りの小川珈琲本店です。
 小川珈琲本店には木々の緑もあり、雰囲気もよく、
モーニングのメニューも豊富で、しかもカップがなんとも素敵です。
ウェイトレスさんの対応も気持ちいいものがあります。
今回は、この小川珈琲本店とは正反対のDECOYを紹介いたします。
 時間を遡ること、なんと半世紀近くになります。
当時(昭和45年)、私が勤務していた会社の横にこのDECOYはありました。
そこで、仕事仲間とよく昼食後のコーヒータイムをとりました。
ドア入り口には焙煎室があり、稼働している時には、
それはそれはコーヒーの香りが店内いっぱいに広がっていました。
コーヒールンバの音楽でも聞けたら、アラブの王様になったような気分になると思います。
 当時は、カウンターだけの小さな喫茶店でした。
マスターは決していい男じゃなく、どちらかといえばこわい顔つきで、
その上とても無愛想でした。
でも、コーヒーをたてる心意気は最高だったと思われます。
 お客さんは常連さんばかりでした。
おいしいコーヒーと一般・スポーツ新聞全紙がそろっているので、
常連さんはこの二つをお目当てにDECOYに通われたのだと思います。
♪絵もない 花もない 歌もない 飾る言葉もシャレもない
そんなDECOYです。
きっと、五木ひろしも木の実ナナも納得だと思います。
 ドアを開けると、サイフォンのコーヒーをマドラーでかき回しながら、
上目づかいで「いらっしゃい」と笑顔なしで一言。
この当時のコーヒーは100円でした。
 お客さんがコーヒーを飲みながら新聞を読んでいます。
読み終わると、さっと次の新聞が手渡されます。
マスターの無言の唯一のサービスです。
絶妙なタイミングで新聞が常連さんの前に配達されました。
それはなかなかの妙技で、
コーヒーの味と客扱いはやはりプロフェッショナルでした。
ちなみに、この当時のマスターは独身でした。
 私は、結婚を機にDECOYへ通うことができなくなりました。
それでも、寺町界隈に出かけると必ず立ち寄っていました。
 DECOYの魅力は、コーヒーカップが薄いことです。
唇にピタッと吸いついて、とても飲みやすかったです。
 マスターにまつわる忘れられない思い出があります。
息子が5歳くらいの時、親子づれでDECOYへ行きました。
息子は、マスターの顔を見るなり店内に入ってきません。
私が「どうしたの」と聞くと、
「あのおっちゃんの顔がこわい」と言って泣きべそかいたことがありました。
この泣きべそかいた息子も、今では45歳になりました。
今でもこの話題が出て、笑い話になっています。
そして、コーヒー代も400円になりました。
 やがて、マスターは店のお客さんと結婚しました。
これがまた憎らしいことに一回りも下で、若くてきれいで、しかも愛想のいい奥様。
出雲の神様はこの素敵なご夫婦の仲人をされたんだと、しみじみ感じたものです。
孫みたいな息子さんもいて親子3人、それはお幸せな現在です。
ここで改めて歴史を感じます。
 久しぶりにDECOYへ寄った私は、白杖を持っていました。
マスターはさすがに驚かれたようです。
年齢を重ねたためなのか、理由はわからないですが、ぎこちなく優しくしてくれました。
なんともありがたいことです。
 今の話題は、もっぱら競馬のことばかりです。
マスターは、たいがいニンジン代を払っているようです。
 今のDECOYは、カウンターとボックス席にそれぞれ10人くらいが座れます。
残念ながら豆の焙煎は煙が出るので稼働しておらず、
コーヒールンバも相変わらず聞こえてはきません。
そういえば、ここしばらくご無沙汰です。
近いうちにこわい顔でも見に行くことにしようかな。
 マスター80歳、私は71歳。
いつまで続くのかわからないですが、お互いに健康であらんことを願うばかりです。
--
 コーヒーというキーワードから、時間を重ねての思いが二つ生まれました。
そこで1曲、「空」 AAAのUrata Naoyaさんの歌を紹介します。
♪見上げた空のように素直に生きてゆけるのならば
止まない雨はないって言葉信じて生きてくだけで
強く前に進めば陽が射す明日が来るのだから
逃げない やめない 終わらない
居場所を見つけるよ♪
 大切な場所、変わらない思い、そこには何かしらの居場所があるようです。
コーヒーエピソードには、そんな温かくおだやかなものが流れていました。
 シリーズ コーラスあおいとりでは、心のさえずりを言葉のコーラスに仕立てて
お届けしていきます。
次回の唱和ではどんな色が描かれるでしょうか。
 それでは皆様、ごきげんよう。
-- このメールの内容は以上です。
発行:   京都府視覚障害者協会
発行日:  2019年10月4日
☆どうもありがとうございました。


現在、シンプルな表示の白黒反転画面になっています。上部の配色変更 ボタンで一般的な表示に切り換えることができます。


サイトポリシー | 個人情報保護方針 | サイトマップ | お問合せ | アクセシビリティ方針 | 管理者ログイン