メルマガ色鉛筆第164号「ひとひら」リレーエッセイ」14
タイトル 「ひとひら」リレーエッセイ」14
メルマガ色鉛筆編集チーム
こんにちは、メルマガ色鉛筆編集チームです。
昨年7月よりしりとりスタイルのタイトルでリレーエッセイをお届けしてきまし
た。
暮らしの中の体験ひとひら、記憶ひとひらがつながり、
いよいよ今号で結びとなります。
161号の「山口県長門湯本温泉そして…」、「手を離さない、絶対に」のバ
トンを受けて、「にんじん」というタイトルでのエッセイです。
タイトル にんじん
ペンネーム 青紫の桔梗と白いくちなし(40代 女性 弱視)
私の苦手な食べ物は人参です。
昔は嫌いな食べ物でしたが、今は苦手というくらいで、普通に食べています。
有機栽培され甘みが強いもの、
人参独特のにおいが強すぎないものもあります。
そして、今では「こんな人参はじめて」と感動することもあります。
最近、おいしいと感じた人参料理は
お出汁につけこまれた和風のグラッセです。
人参の味がダイレクトに出るグラッセ、バターのものより食べやすかったです。
私が人参を嫌いになったのは子供の頃の体験からです。
あまり好んで食べなかっただけなのに、残すことはなかったのに、
わざと人参ばかりを私の取り皿に入れて、
父は私に人参だけを食べさせようとしました。
今でも目に浮かびます。
小鉢の中が赤い人参でもりあがっている光景が。
ひたすら拷問のように食べても食べても人参の味が続きます。
おいしくないという思いより、
どうしてこんな思いをしなきゃいけないのかと悲しかったです。
けれど、あの時の父の思いがどんなものであったか、今はわかります。
命をいただくのがお食事です。
好む好まないではなく、
きちんとそのものの味を理解して食べることができなければいけない、
それに対してわずかな甘えも一切許さないという教えです。
父は何事においても独特の持論を声高に唱え、暴力的な命令をし、
家族を服従させておりました。
食についてもあまりに極端な持論があり、厳しさの度合いを超えた教育をされま
した。
どうして私のお父さんはこんな人なんだろう、
悲しくて涙を流しながらの食事も多々ありました。
けれど、今はありがたかったと心から感じます。
苦手だから避けるということなく、命をいただけるようになったことは
父の厳しさあってこそです。
箸の上げ下ろし、何が本物なのか、素材そのもの、料理人の仕事、
それがちゃんとわかって命をいただける人間になれと。
父が伝えたかったことは、すべてこの1点につながっていたと思います。
私は人参を食べるたびに亡き父を思います。
そして、今私の心に浮かぶにんじんは耐え忍ぶ人の忍人です。
子供時代の自分は、厳しすぎる父の有様に耐え忍ぶのみでした。
今は自らが忍ぶ人としてのにんじんと向き合っています。
ひたすら忍人(にんじん)の日々が続きます。
いつかこの忍人(にんじん)をおいしいと思える日がくるでしょうか。
父の口癖は「俺は太く短く生きる」でした。
私が23歳の初夏、父は旅立ちました。
火葬場から持ち帰った骨箱を膝に抱え、
「お父さん、私は強く生き抜いていきます」と何度も胸の中でくりかえしました
。
座敷にくちなしの香りが流れ込み、父の背中が重なり涙した日から、
26年が過ぎました。
父が私の中に遺してくれたもの、その重さを抱えながら、
今、私はあの日の約束を反芻しています。
そして、ふたつのにんじんが私に厳しい投げかけをしてきます。
ここから先に語るべきもの、それが何なのか、今の私にはまだ見えません。
二十七回忌を終え、いつかのにんじんを思いながら、心の一片を留め置くことに
します。
静かな雨の午後に 合掌。
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にんじんを食べているとき、そのにんじんが体のどこにどのように栄養をもら
うことになるのか、すぐにわかりはしません。
食事の躾もどのように重要かは、そのときにすぐにわかりはしないものですね。
それが後々、わかって来ます。
そっと心にしみこむように。
青紫の桔梗と白いくちなしさんのお父様はご自身の流儀を通して生きられた様
子です。
きっとそれは強い人にのみできることです。
お葬式の日にお父様とした約束に、青紫の桔梗と白いくちなしさんの強さが見て
取れます。
育てられ受け継がれた強さ。
にんじんによって育てられ受け継がれた強さ。
そこににんじんがあることが、面取りしてころんとしたグラッセになったにん
じんがあることが、にんじん色のあたたかい強さを示しているようにも思いまし
た。
にんじん色であたたかい。
それって強いのか? それがどんな強さなのか、これからの青紫の桔梗と白いく
ちなしさんが実現しておしえてくれるはずです。
ひとひらリレーエッセイは昨年7月6日の赤い勝負服さんから今回、8月2日
の青紫の桔梗と白いくちなしさんまでの27人の作品からなるシリーズです。
お1人お1人の書こうという気持ち、書いてみようという気持ちがこのようにつ
ながって、1つのリレーエッセイになりました。
1つのリレーエッセイになったことで、1つのリレーエッセイになったからこそ
、色鉛筆読者のみなさんに感じてもらえる何かがあれば、と願っています。
ライターさんが、見えない・見えにくい当事者の立場をどれだけ強く意識して書
くか。
このリレーエッセイでは、それもライターさんまかせにしていて様々ですが、そ
の点がどうであっても、どれもが当事者の声です。
文章が好きでよく書いている人も、逆に普段あまり書く機会、チャンスがない人
も、中にはいらっしゃいます。
よく書いている人だからこそ出せる色もあれば、そうでない人だからこそ出せる
色もあるでしょうね。
その他の面でも、27人の方は人それぞれです。
そんなライターさん達が1つのご縁でこの企画に参加し、このリレーエッセイ
によってゆるやかにつながってもらいました。
書くことによってゆるやかにつながることができます。
みなさんもよければ、どこかで何かのご縁を得て、あるいは作って、リレーエッ
セイをやってみられてはいかがでしょうか。
もしそんなことが実現したら、メルマガ色鉛筆編集チームはとてもうれしいです
。
このメールの内容は以上です。
発行: 京都府視覚障害者協会
発行日: 2019年8月2日
☆どうもありがとうございました。