メルマガ色鉛筆第151号「歌に思いを込めてⅡ」

タイトル 「歌に思いを込めてⅡ」
~杜の都と地下鉄、そしてあのころ~
メルマガ色鉛筆編集チーム
 こんにちは、メルマガ色鉛筆編集チームです。
 「歌に思いを込めて」の第2回です。
実はこのシリーズは、編集長様から「歌に鉄道を絡めて書いてもらう企画だよ」
と言われています。
というわけで、今回は仙台の地下鉄が登場します。
 今回のスカイグラデーションさんの思いにも、緑のそよ風さんが共感を込めて
コメントを寄せてくれました。
お2人の「杜の都と地下鉄の物語」です。
タイトル 杜の都の森林公園
♪ハートフル・ステーション♪ 林原めぐみ&保志総一朗
ペンネーム スカイグラデーション(30代 女性 全盲)
 広瀬川 流れる岸辺
 早瀬踊る光に あの日と同じ七夕祭
 …
 歌詞、とんでるし。
曲名、違うよ。
まぁまぁ、細かいことは置いておいていいよ。
 宮城県仙台市。
泉区の泉中央駅から太白(たいはく)区の富沢駅まで、市内を南北に結ぶおよそ
15キロ17駅。
これが、仙台市地下鉄南北線である。
仙台駅のホームからは、
海沿いを通って松島や石巻方面へ向かうJR仙石(せんせき)線の始発駅、あお
ば通駅との直通連絡通路があったりして、
なにげに通勤・通学から観光まで便利に使える路線なのだ。
ちなみにターミナル駅は駅ビルと直結しているので、雨の日のショッピングもお
すすめである。
 まだ元気だった祖父母と母と弟と、地下鉄に乗って一番町に買い物に行く。
これが幼いころの私たち家族の日常だったから、私にとっては「電車イコール仙
台の地下鉄」だった。
だから、まぁ、地元山形で盲学校に通うようになり、電車に乗ることを覚え始め
たころ、
ドアを開けるためにボタンを押すとか、単線区間ですれ違い待ちのために5分も
停まっているとか…、正直驚いたものだ。
今思えば、仙台って都会だったんだなぁ。
 そんなカルチャーショックは置いておいて、本題に入ろう。
 杜の都といわれるだけあって、まちの中心部の近くでもたくさんの緑があるの
が仙台。
その一つが台原(だいのはら)森林公園で、地下鉄の旭ヶ丘駅から徒歩0分。
修学旅行の時期ともなれば、散策している学生や駅の裏にある仙台市科学館に行
く学生をよく見かける。
ここが私のホームグラウンド。
 この一つ北側の黒松駅を出ると、列車は地上区間を走り終点へ。
地下鉄だって地上を走る。
それは珍しいことではないが、仙台市地下鉄のおもしろいところは、地上に出た
らそのまま鉄橋を走ってホームが2階になること。
あまり乗らない区間だったので車窓からの景色の記憶はあいまいだが、
地上から見上げていると列車がホームに滑り込んでいく、その景色はよく覚えて
いる。
 旭ヶ丘駅は地上駅で、その前後はトンネルである。
トンネルを抜けると、車窓に流れていた電灯が急にまぶしい青空に変わる。
ホームの片側は森林公園の遊歩道に面しているから、青空と緑がよく見える。
「お外が見えたら降りる駅」なのである。
地下鉄は、乗ることも遊歩道から眺めることも多かったように思う。
 小さいころの弟は、今の私より鉄分が濃かった。
犬の散歩がてら祖父に連れられ、あるいはお祭りのときには父に連れられ、飽き
もせずにずっと電車を眺めていた。
 あれからおよそ20年。
あのころは、三越やらナガサキヤやらの袋を抱えて歩いていた。
今、その袋を抱えていた祖母は歩行補助の杖を抱えている。
そして、母の手を握っていた私の手にはハーネスが握られ、隣を歩くのは黒い毛
なみの相棒になった。
 ベテランのおばちゃんふうだった車内の自動音声は、バリキャリな受付のお姉
さんふうに変わった。
そして、私の目はあのころのような青空を見ることはできないけれど、
「次は旭ヶ丘。台原森林公園入り口はこちらです」のアナウンスを聞くと、強烈
な青い空の色と濃い緑の木々が鮮明によみがえる。
ふるさとに帰ってきたんだなと思う瞬間である。
ペンネーム 緑のそよ風(60代 男性 眼科医)
 思い出は帰らず
 揺れていた君の瞳
 時はめぐりまた夏が来て…
 新幹線が仙台駅のホームに滑り込むと、いつもこの曲がホームに響き、仙台に
着いたことを実感します。
仙台市民なら誰もが口ずさむことのできる愛唱歌、「青葉城恋唄」が世に出たの
が昭和52年6月。
新幹線乗り入れに備えて現在の新しい仙台駅舎が竣工した年で、その前年に市電
が廃止されています。
新幹線の開業が反対運動などで遅れる中、
上野行きの特急「ひばり」、盛岡行きの「やまびこ」、青森行きの「はつかり」
などで仙台駅のホームは賑わい、
在来線特急の黄金時代を謳歌していた時代でした。
 市電の廃止と前後するように地下鉄建設の気運が高まり、市議会が地下鉄の建
設を決議したのが昭和53年。
それから9年たった昭和62年、
富沢駅から八乙女(やおとめ)駅までの区間が開通し、東北地方で初の地下鉄が
完成します。
スカイグラデーションさんがお母様に手を引かれて一番町までお買い物に出かけ
ていらっしゃったのは、
おそらく完成間もない時期で、
当時ピカピカだった1000系電車に乗ってお出かけされていたのでしょう。
 「青葉城恋唄」がリリースされた直後、私がまだ大学1年生だったころ、
東京銀座のデパートで新曲を紹介する催しがありました。
そのときに「青葉城恋唄」の作曲者で歌手のさとう宗幸が来場していましたが、
当時はまだ20代の若者。
歌が流れているのになぜか彼は突っ立ったまま歌わず(つまり本人が本人の歌を
聞いている状態)、
居並ぶ聴衆が「えーっ」と彼のほうを見ると、彼がニヤッと笑っていたのを覚え
ています。
でも、初めて聞いたはずなのに、いい曲だなと思った記憶が。
 本来は失恋の歌なのですが、杜の都の風景の中で昔の出来事を淡々と回想して
いる、
決して暗くならず、美しい景色の中に埋もれた過去の情景を思い出す、
そんな淡い感傷の歌です。
ええ、私も仙台に出かけると、いつも口ずさんでいますよ。
別に思い出の人がいるわけではありませんが…。
 震災の2年後、旭ヶ丘駅の隣にある青年文化センターで、
震災後の視覚障害者を取り巻く状況についてミニレクチャーをしたことがありま
す。
仙台駅から長い暗闇の中を走った後、急に外の光が差し込み、
地下鉄なのに外の風が抜けていく、不思議な感覚に包まれました。
そのとき、ああ、旭ヶ丘駅に着いたなと実感しました。
 仙台は地形のアップダウンが大きく、当時南北線の工事を担当した鉄道建設公
団(現在の鉄道・運輸機構)は、
NATM工法という山岳トンネルの工法などを駆使して開業にこぎつけています

旭ヶ丘駅もそんな起伏の中に駅があり、気持ちの安らぐ駅ですね。
スカイグラデーションさんにとって、まさにハートフル・ステーションなのでし
ょう。
 あれから20年ですか?
「青葉城恋唄」で回想している昔の思い出は、そんなに前の話ではないかもしれ
ません。
でも、時はめぐり、また夏が来て、今ここにいるのは今の自分。
思い出の中の自分ではありません。
ただ、そんな現実を当たり前と感じながらも、
その場に立てばやはり昔の記憶がよみがえり、しばし心が満たされた気持ちにな
ります。
そう、人生って、そんなことの繰り返しなのかもしれませんね。
(編集部より)
 仙台市地下鉄南北線は、そよ風さんが書いておられるように、
昭和62(1987)年に富沢・八乙女間で開業しました。
そしてその後、短い距離ですが、八乙女・泉中央間が延伸されています。
グラデーションさんが南北線によく乗っておられたのは、この延伸のあとのこと
だと思います。
それで、南北線の区間を泉中央駅から富沢駅までと書いておられるのだと思いま
す。
 「まあ、いいか」とも思いましたが、
気になる読者がいないともかぎりませんので、老婆心ながらいちおう説明させて
いただきました。
♪♪
ペンネーム セピア色の色鉛筆編集者(60代 男性 弱視)
 私は、仙台の南隣りにある名取市の出身です。
私も子どものころは、うちのバッパに連れられてよく一番町に行きましたよ。
帰りのバスに乗る前に、おばが雇われママをしていた三越の裏手にある喫茶店で
ジュースを飲むのが楽しみでした。
 当時、一番町には藤崎というデパートもありました。
仙台駅前には丸光(まるみつ)というデパートもありました。
三越は今もありそうだけど、藤崎や丸光は今もあるのかな。
グラデーションさん、ご存じでしょうか?
 今回のお2人の文章を読ませていただいて、とても懐かしく、あのころの仙台
のことをいろいろと思い出してしまいました。
当時は地下鉄はまだなくて、市電が走っていて、
グラデーションさんとはちょっとだけ(?)時代が違いますけどね。
 思い出しついでに、うちのバッパのエピソードを紹介します。
 バッパは明治末の生まれで、平成になってから亡くなったんですが、
仙台市内にある市場のことを亡くなるまでヤミイチと呼んでいました。
太平洋戦争中に宮城電鉄という私鉄を国が買収して国鉄(現JR)の仙石線にな
ったんですが、
この仙石線のことも亡くなるまで宮城電鉄と呼んでいました。
また、お祭りや小学校の運動会があると、屋台を出して、
どこで仕入れたかわからないようなトコロテンやどら焼き(らしきもの)を子ど
もたちに売りつけていました。
これ、今なら絶対にアウトですね。
なかなかすごいバッパでしょう。
 書きたいことはいっぱいあるんですが、あまり長くなると編集長様にしかられ
そうなので、これぐらいで…。
 いやあ、懐かしいなあ。
お2人さん、ありがとうございます。
 グラデーションさんは、最初に「ハートフル・ステーション」という歌をあげ
てくれました。
それから「青葉城恋唄」が出てきて…。
「どっちがメインやねん」と思ってしまいました。
 ところが、そよ風さんがなかなかステキな解釈を与えてくれました。
仙台市地下鉄の旭ヶ丘駅は、グラデーションさんにとっての「ハートフル・ステ
ーション」だったんですね。
胸のつかえが取れました。
これまた、ありがとうございます。
-- このメールの内容は以上です。
発行:   京都府視覚障害者協会
発行日:  2019年3月22日
☆どうもありがとうございました。


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