メルマガ色鉛筆第145号「休職して気づいたこと」

タイトル 「休職して気づいたこと」
ペンネーム ジャスミン茶(30代 女性 弱視)
 レポートの要旨です。
 ポジティブで楽観的な性格の私。
でも、さすがにへこみました。
だんだん見えにくさが増し、そのうえ職場の人間関係もきつくなったんです。
しょっちゅう職場のトイレで泣きました。
とことん落ち込みました。
病院へも行きました。
 そして、休職しました。
その中で感じたことを率直に記します。
 ここから本文です。
 私は、子どもの頃に網膜色素変性症と診断されました。
高校、大学は特に問題なく進学しましたが、大学の4年生頃になって徐々に視野
が狭くなりました。
大学卒業後に障害者手帳を取得しました。
 大学では心理学を勉強し、さらに2年間、大学院で学びました。
就職活動はスムーズに進み、無事社会人デビューしました。
母親ゆずりのポジティブで楽観的な性格の私は、「自分が障害者であることを強
みに変えたい!」と考え、
学んだ心理学も活かせると思い、障害者とかかわる仕事を選びました。
この頃は白杖は持っていたものの、人の動きを見たり目を使って移動したりして
いました。
また、拡大すれば文字の読み書きもできる状態でした。
 就職して1年目、視覚障害者の雇用は初めての職場のため、周りの同期と比べ
て仕事に時間がかかることもありました。
しかし、楽観的な私はここでも「頑張ればなんとかなる!」とあきらめず、
少しずつ仕事を覚えていきました。
人の入れ替わりはあったものの、親切な上司や先輩、後輩に恵まれ、
職場の人は私に自然に接してくれました。
忙しい職場ではありましたが、見えにくさゆえのサポートもお願いしやすい雰囲
気がありました。
私は、仕事にやりがいを感じながら働いていました。
 私の職業生活は8年目になりました。
目の病気は自分でも気づかないうちにゆっくりと、でも確実に進行していました

今まで見えていたものが見えなくなりました。
拡大読書器の文字や、白黒反転して拡大したパソコン画面も見えなくなりました

また外出では、慣れた場所でも急に進行方向がわからなくなったり、
今まで認識できた目印を見つけることができなくなりました。
 「あれっ?、おかしいな。私ってこんなに目悪かったかな?」、
この感覚、確かにありました。
今まで何度もありました。
これが、まさに網膜色素変性症なんです。
この「あれっ?」を体験するたびに、改めて「私の病気」を実感しました。
 そんな中、職場では入職8年目の私のキャリアアップを見すえ、新しい仕事を
任されるようになりました。
これまでなんとか目を使ったり、周りの人に助けられながら仕事をしてきた私に
とって、
未経験の新しい仕事をこなすことはとてもたいへんでした。
それでも拡大読書器で一つずつ文字を見たり、読み上げの機械を使ったり、自分
なりの努力をしました。
しかし、私のスピードでは到底追いつかず、結局周りに手伝ってもらうことがほ
とんどでした。
 そんな状況の私、ちゃんと自分の力だけでできない私に、前任者の年上の女性
は厳しく接しました。
「なんでそんなに時間がかかるのか」、「人が助けてくれることを当然と思わな
いで」と、きつい言葉を言われました。
 私は追いつめられました。
他の人に何かを依頼するにしても、依頼する内容を把握するまでに時間がかかり
、とにかくいつも情報不足の状態でした。
次々と目の前の仕事に追われるばかりで、立ち往生です。
周りの人も忙しく、頼むタイミングすらつかめない状況でした。
つらかったけど、周りに助けを求めることができませんでした。
 ここに来て、初めて職場の人間関係に悩みました。
そして、頑張ってもなんとかならないことを思い知らされました。
見えない、仕事ができない、ひたすら悔しかったです。
 こんな状況が3か月ほど続き、精神的にも身体的にも疲れた私は、家族に付き
添われて病院に行きました。
そして、自分の気持ちを整理して今後の働き方を考えるために、休職することに
しました。
 この原稿を書いている今は、休職して3か月目です。
この3か月の間、たくさんの人に会い、相談をしてアドバイスをもらいました。
まだはっきりとした答えは出ていません。
 自分探しの出会いの中で感じたことは、自分を否定ばかりせず受け入れること
、無理をしないことが大切だということです。
これは、仕事の中で私が利用者の方によく言っていた言葉です。
しかし、いざ自分のこととなるとそうはいかない、できなかったんです。
 自分を否定しない、受け入れる、無理をしない、なぜ私にはできないんだろう

私は立ち止まって考えました。
それは今までの自分のやり方、考え方を変えなければならない、勇気のいること
なのだと気づきました。
そして、このまま仕事をあきらめたくはないと考えられるようになりました。
 今は、復職に向けて新しい自分を作るために少しずつ準備をしています。
白杖から伝わる触覚を使って歩く練習をしたり、
また、前に習ったけど全然使っていなかった点字の勉強も始めました。
やっぱり、自分ができなくなったマイナスを感じて落ち込むより、
少しでもできることを取り戻していくプラスを喜べる私でいたいなと思います。
 幸い、私には今までに出会った視覚障害の友達や、尊敬する先輩方とのつなが
りがあります。
休職して、勇気を出して久しぶりに連絡をとって会いに行きました。
誰もが私を受け入れてくださり、話を聞いてくださいました。
私は、出会った人たちからたくさんのパワーをもらいました。
私に寄り添ってくれた皆さんは、本当に温かかったんです。
私も、自分のようにつまずいた人がいたら、少しでも力になれる存在になりたい
です。
まだ復職に対する不安はありますが、
つながっている人たちにも頼りながら、私ができる仕事を作っていこうと思いま
す。
 いつも楽観的でマイペースな私ですが、久しぶりに落ち込んだことをお話しま
した。
この落ち込み、立ち止まりをきっかけに、
これからも病気と付き合いながら、うまくいかないことも受け入れていこうと感
じられるようになった今日この頃です。
 読んでくださった方、ありがとうございました。
 編集後記
 見えにくさが増す今を直視する場面が職場というシビアな場だとしたら、
仕事ができない自分はだめな自分、自分が悪いんだ、迷惑しかかけない、どんど
ん自己否定は深まります。
そこで勇気を出して「止まる」選択をしたジャスミン茶さんから、自分探しのレ
ポートが届きました。
 自分探しの旅の中で、そしてわが身を振り返り書く中で、
彼女が出会った自分はどんな自分だったんでしょうか。
まだわからないけど、こんなふうにできたらいいなあ、そんなうっすらとした光
明があったようですね。
そんな彼女に寄り添う人たちも、旅をともにする喜びを分かち合ったのではない
でしょうか。
-- このメールの内容は以上です。
発行:   京都府視覚障害者協会
発行日:  2019年1月25日
☆どうもありがとうございました。


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