メルマガ色鉛筆第137号「ひとひら」リレーエッセイ5

タイトル 「ひとひら」リレーエッセイ5
メルマガ色鉛筆編集チーム
 こんにちは。
メルマガ色鉛筆編集チームです。
 134号に続き、しりとりスタイルのタイトルでリレーエッセイをお届けします。
暮らしの中の体験ひとひら、記憶ひとひらをつなぎます。
「競馬」、「バンク」、「車」、「祭」、「りんご」、「『ごめん』と『ありがとう』」、
「上を向いて歩こう」、「Wednesdayの宇宙」のバトンを受けて、
「海」、「道」というタイトルでのエッセイです。
タイトル 「海」
ペンネーム 青いマリンバ(60代 女性 弱視)
 春はキラキラした海
 夏は海水浴でにぎわう海
 秋は人が去って夕日が綺麗な海
 冬は大きく波打つ海
 京都市内で生まれた私は、海にはあまり縁がない。
海水浴に行ったくらいで、海のことなど何も知らない。
それでも夏の終わりの海が好きなのは、この歌が好きだから。
 Hello my friend 今年もたたみだしたストア
 台風がゆく頃は涼しくなる
 Yesterday 君に恋した夏の痛みを
 抱きしめるこの季節走るたび Ah
 淋しくて 淋しくて 君のこと想うよ
 離れても 胸の奥の友達でいさせて
 この歌が本当に好きで、自分がこの歌の世界に立っている気がする。
いつか、夏の終わりの夕日が沈む頃に海を見に行きたい。
今もこの歌のヒロインに憧れる私がいる。
--
 「いつかへの思い」を持ち続けている今を、海の情景に重ねて語られました。
若き日から月日を経てもある私の姿、そのバトンを引き継いでのリレーです。
タイトル 「道」
ペンネーム アメーラ(50代 女性 弱視)
 「その道に入らんと思う心こそ我身ながらの師匠なりけれ」。
ご存じの方もいらっしゃると思いますが、これは茶道の利休道歌の一首です。
利休道歌とは、千利休が、茶道の精神や点前作法の心得を、
初心者にもわかりやすく覚えやすいように和歌の形にしたものです。
 日本では昔から、学問、技芸、運動などの世界やその修業過程のことを「道」と呼びます。
茶道、華道、剣道、柔道などです。
「道」には目的地に至る途中という意味があり、上手くなるように上を目指して
頑張るイメージがありますね。
それとともに、「道」には人間として守るべき条理という意味もあります。
ですから、上記の習い事には、技術だけでなく精神も鍛えられるイメージがあります。
そう言われるとなんだか難しくて厳しそうで、習うのを躊躇される方もいらっしゃるでしょう。
 ところが、私はそんなことは何も考えず、茶道を習い始めてしまいました。
若気のいたり、知らないということは恐ろしい。
 それは高1の文化祭、友人に連れられて行ったお茶会で、
美味しいお茶菓子に釣られて誘われるままに入部したのが始まりでした。
そんな動機ですから、お点前が上達するはずがありません。
友人は次のお点前に進んでいきます。
そんな中、私は毎週季節に合わせて変わる美味しいお茶菓子をいただくだけで満足していました。
お茶の道に精進していたとは言いがたい私ですから、卒業後はずっとお茶から離れていました。
 ところがご縁があって、子供たちが学校に行っている間、母校の同窓会館でお茶を習うことになったのです。
しかし、同窓会館といっても生徒さんは大学生ばかりで、初めてお稽古に行った時の居心地の悪いこと。
その時に、先生が先の歌を教えてくださったのです。
「何事も、その道に入ろうと思う自分の気持ちが一番大事なのです。
頑張って学ぼうというその気持ちこそが、一番の師匠なのです」と。
この「いつから始めようと何も恥じることなどありませんよ」という先生のメッセージに、
私の気持ちは楽になりました。
それ以来、この和歌は私のお守りになっています。
 こうして始めた二度目の茶道は、年のせいかもしれませんが、お菓子が目的ではなくなり、
お茶の心にふれて感動するようになりました。
お茶席に来られるお客様に喜んでいただけるよう、その日のお客様のことや季節のことを思い、
お茶やお菓子、お花だけでなく、掛け軸、お香、お茶碗、茶杓などのさまざまな
お道具から炉の中の炭の具合まで、
お席の心に合うものを選ぶのです。
お茶席に身を置くと、お茶やお菓子はもちろんのこと、
それ以外のさまざまなところにも亭主(お茶席を用意する主人のこと)の心尽くしを発見することができます。
それは、私にとって至福の時でもありました。
本当に奥が深く、この道には一生かけても終わりはないなあと感じました。
 けれど、今の私はお茶から離れています。
視力が落ち、1人でお茶を飲む席に座ることができなくなってしまったのです。
そして、私はもう何もできないんだと落ち込んでしまいました。
 それから私はライトハウスを知り、鳥居寮の訓練に行き始めました。
そうして、そこでたくさんの視覚障害者の方々にお会いしました。
もちろん、その中には全盲の方もいらっしゃいます。
そういう方たちといろいろな話をしたり一緒に出かけたりするようになって、
こんな思いをしているのは私1人だけではないんだということ、
1人ではできなくても誰かと一緒ならできるんだということ、
誰かに手伝ってもらってもいいんだということ、
何よりも人は優しいんだということを思い出しました。
 「風過ぎて竹寂然」。
これは、お茶室に時々掛かっていた掛け軸の文言です。
文字通り、竹は、台風が来て大風が吹いて折れそうなほどひどく揺れても、
台風が過ぎて風がおさまると何事もなかったように静かにたたずんでいるという意味です。
私たち人間もさまざまな事がらに心を乱されますが、
時が過ぎたらまた竹のように心静かにたたずみたいものです。
 私は今、全盲の方が何事にも明るく前向きにチャレンジされているのを見て、
私もいつまでも倒れていないで、竹のようにすっくと立ってまた「道」を進んでいこうと思うようになりました。
まずは、京都の二条城で毎年行われる市民茶会に行ってみようと思っています。
そこに新しいお茶の道が見えるかもしれないから。
--
 かつての私、そして今も、そんな一筋の思いが「海」の中にも「道」の中にも
ありました。
この偶然のめぐり合わせに拍手です。
描く心、願う心に「道」、
迷う心、再び立ち上がろうとする心にも「道」、
そこには心を支える歌があり、お守りとなる和歌がありました。
これもまた偶然のめぐり合わせなのだとしたら、何か見えない力を感じずにはい
られません。
 それぞれの人生のひとひら、ほんのりと思いをつなぎながら、次回のリレーエ
ッセイへと続きます。
-- このメールの内容は以上です。
発行:   京都府視覚障害者協会
発行日:  2018年11月2日
☆どうもありがとうございました。


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