メルマガ色鉛筆第126号「さよなら、愛しい南風」

タイトル「さよなら、愛しい南風」 
ペンネーム 生成りのシャツ(40代 女性 弱視) 薄橙の背中(30代 女性 弱視)
こんにちは。
メルマガ色鉛筆編集チームです。
今回は、「かつての自分、そして今、もし~だったら」をテーマに描かれたストーリーを2通に分けてお届けします。
登場人物はかつて弱視だった19歳の女の子、今はほとんど見えなくなっています。
大切な人との再会、夏の京都の一コマです。
ここから本文です。
夏の入り口、祇園祭を待つ季節、久しぶりに彼に会う。
27年前と同じ待ち合わせ場所、四条大橋南詰。
土曜日の午前10時、外国人観光客の浮かれた話声が私の前を行きかう。
あの頃とは随分雰囲気が変わってしまったな。
彼が来るはずの駅の階段へ目を向ける。
人の顔も見えない。性別もわからない。なのに、なぜ私は彼の姿を探すんだろう。
あの頃とはもう違うのに……。
19歳の私のままで彼に会いたくて、昨日の夜はコーデを考えるだけで胸がドキドキした。
縦巻きカールにピンクのスワロのヘアアクセ、ピンクの膝丈スカートにアイボリーのボレロ、ベージュのパンプスとバックで大人かわいいスタイルに。
ネイルはキラキラパールで、いつもより念入りにおしゃれした。
左の薬指の指輪の跡を無意識に触りながら、街の音を聴く。
彼を見つけられない、見えない現実にしょんぼりして、川に目をやる。
南風が髪を揺らしたからか、ふとあの日のことを思い出した。
19歳の私は待ち合わせ時間より早くそこにいた。
自分から人を見つけるのは苦手だったから、待ち合わせは必ず先に行って待つの
が習慣だった。
超仲良しの男友達が声をかけてきた。
「デートか?がんばれよ」
私は黙って肯いた。
私の親友の恋人だった彼に、女子高生だった私は恋をしていたけれど、思いを告
げることはなかった。
そして、彼と私は親友がやきもちを焼くほどの仲良しになった。
「俺行くわ」と格好つけたポーズで彼がいつものバイバイをした。
その背中を見送りながら、私はなぜか寂しい気持ちになった。
やわらかく南風が吹いた。
私は川に目をやった。
「あいつと待ち合わせかと思ったよ」
突然彼が私に声をかけた。
「ちがう、ちがう」
「元彼か?」
「ちがう、ちがう」
それはなんだか気まずいデートの始まりだった。
「いつから見てたん?」と少し甘えた声で彼を見上げながら、私は彼の腕に体を
寄せた。
今日はみんなと一緒じゃない、二人だけの特別な日、普通の恋人同士のようにし
たかった。
南風が切なさを運んでくる、少し目を伏せた瞬間、彼が私の右側から声をかけた。
「久しぶり」
私の頬に触れ、彼は自分の位置を知らせた。
そこには彼の笑顔があった。
見えないけど、確かにあった。
頬に触れた彼の手に私は自分の右手を重ねた。
私は彼を確かめたっくて左手を前に出した。
彼は私の手を取り、「久しぶり。一人で来たのか?」と尋ねた。
私は声が出ないまま、握った彼の手を彼の胸に寄せ、そっと撫でた。
「久しぶり」
彼の体温が伝わってきて、私はやっと応じた。
「いろいろあったんやな」
「今はどうしてるの?」
「映画でも観ようか? 邦画ならどうにかなるやろ。話はその後や」
「うん」
白杖のことも何も聞かないまま、彼は私の左側に立ち、肘をくれた。
あの日と同じ、彼に身を寄せて歩く。
彼は段差があると少し止まって知らせてくれた。
想えばいつもそうだった。
映画館のシートに座ると、彼が言った。
「目が疲れるから、始まるまで目を閉じてろ」
あの日と同じ彼のセリフに、私は息が詰まった。
「もう眼は疲れへん。何も見えないから。何も見えないってのは嘘、光はわかる
し、シルエットもぼんやりなら見える」
「……、そうか」
予告編が始まった。
私はいつものように目を閉じた。
「それでわかるのか」
私は黙って肯いた。
「後で心理描写とか意図的な演出とか教えてくれる?」
「わかった」
彼は小さな溜め息をつきながら、肘置きに置かれた私の手に自分の手を重ねた。
「今でも演出とかカメラアングルが気になって純粋にストーリーを楽しめない?」
映画館を出て、歩きながら話す。
「もう、そうでもなくなった」
「私は見えてた時以上にアングルと演出が気になるようになったわ。一番大事な
ところを落としたまま映画を観てる気がして」
「……なるほどな」
「お前が知りたいのは、草原に降り立ったあのシーンやろ。左アングルから、パ
ーンで遠くの山、そこからの男の子の無表情な顔と見つめる足元やった」
「そうなんや。後から聴いてパズルを組み合わせるみたいにシーンを描くけど、
やっぱりリアルタイムでその心理描写を自分がとらえられないのが悔しいわ」
「それに、その色とか草の波打つ風とかも説明で伝わるものじゃない。そもそも
言葉で伝えるべきものじゃないからな」
「やっぱりそう思う?」
彼が黙って肯いたのが、細い私の視野に入った。
その小さくて不確かな彼の姿が、私の胸をえぐった。
「見えないけどわかるものもあるし、見えないとどうしたってわからんものもあ
るねん」
「どうしたんや?唐突に」
「ごめん。何でもない」
私は彼の肩に持たれて続けた。
「恋人たちの街角、いまいちやったな」
「そうだったかな?どんな映画かも忘れた」
「私も忘れたわ」
「飯食うか?」
「うん」
ランチをして、なんでもない話をして、バイバイするだけ、それでいいんだと思
った。
もう2度と会うことのない時間の重さも感じた。
それは、これまでの時間と同じだけ思うように思えた。
彼のことは何も聞かないでおこう。
彼も何も話さないだろう。
それが正解だと思えた。
「私太ったやろ」
「そうやな。お前は不細工になった。俺は渋みを増してええ男になったで。昔か
らええ男やったけどな」
「そんなん嘘つかれててもわからんやん。ずるいわ。……触ってもええのん?」
少しためらいながら尋ねた。
「それでわかるんか」
私は彼の二重瞼と年齢を重ねた肌とやわらかい唇に指を当てた。
「ほんまや」
私は自分が情けなくて、少しうつむいた。
「どうしたんや。そんな顔したら余計ぶさいくになるぞ」
「……、うるさいわ!」
それは、気の強い私を知っている彼らしい突っ込みだった。
彼のそんな優しさが愛しかった。
料理が運ばれてきた。
「お前、トマトソース好きやな。いつもそればっかりやんけ」
「ずっと一緒にいたみたいなこと言わんといてよ。今日はたまたまやわ」
「赤いシミつけまくるなよ」
「なんでそんなこと言うのよ。思い出して泣きたくなるやん。やめて」
「アホか、それにしてもうまそうやな。ちょっと一口ちょうだい」
子供みたいな彼とのやりとりに、変わらない温もりを感じる。
それは、ただの妄想で、現実は何もかも違っていることはわかる。
私はテーブルの向こうに彼の笑顔を描く。
彼は声では笑顔でも、目は寂しいのかもしれないとさえ思う。
グラスを探すふりをして、わざと彼の手に触れる。
指輪に触れて、思わず彼の手を包む。
「どうしたんや? なんかのまじないか」
どうか幸せでいてほしい、祈るような思いで彼の手を包む。
私はしばらく黙って、彼と指を絡めた。
「お水どこ?」
「皿の左手や」
「ありがと」
「俺のも一切れやるわ」
「ピザで太る練習はしたくない。いらない」
にくたらしそうに私は返した。
バス停で彼と別れる。
「一人で大丈夫やな」
バスを待つ時間が、淡々と流れる。
「元気でね」
私は彼の頬に触れながら、笑顔を投げた。
「気をつけろよ」
彼は私の頭を撫でた。
彼の胸で何かを伝えたかったけど、私はじっとこらえた。
「ありがと。ほんま、ありがとね」
一番大事なことを、27年かかってやっと彼に伝えられた、そんな気がして涙は
出なかった。
私はやっぱり気が強い、つくづく思う。
バスのドアが閉まると祇園囃子は消えた。
それは、夏の入り口にさよならをした日だった。
川に吹く南風はどこまでもやわらかく流れていった。
 バスの扉が閉まった。
唸りをあげて遠ざかる箱を、俺は手を振りながら見ていた。
もったりとした空気に、排気ガスが溶ける。
バスの背中と俺の間には次々と車が割って入る。
「ありがとう、か……」
俺は贈られた言葉を口のなかで転がす。
手のひらにはあいつの髪の感触がまつわりついている。
バスがどんどん遠くなる。
すぐに別路線の車体が滑り込んできた。
それが引き潮だった。
歩道が足に不愉快で舌を鳴らす。
京阪の駅へと繋がる階段を避け、反対方向の階段を駆け下りた。
涼しいであろう地下への階段をすいすいと上下する人を見るのが悲しかった。
そこには古の都を流れる鴨川が横たわっている。
不安定そうな石を避けて歩み寄った。
日中散々照らされた川面は、飛沫を上げるたびに黄金色の陽光を受け止めてキラ
キラしている。
ぬるいのか冷たいのかわからない水の流れが、耳を埋め尽くした。
あいつは、この心を洗う冷涼を聞いただろうか。
流れてくる祇園囃子に季節を感じただろうか。
熱を持つ南風を不快に思ったかもしれない。
でもあいつには見えない。
季節によって変わる街の様相も、気張ってオシャレした俺の恰好も。
見ていた、けれども見えていなかったんだ。
俺が目に映している光景を、あいつの脳へは届けられない。
どうあがいたって無理なんだ。
俺は左手の薬指から指輪を抜き取った。
昨日慌てて買いに走ったその安物を、ズボンの尻ポケットに突っ込んだ。
思わずこぼれる自嘲の笑みとともに、川べりに立ち尽くす。
あいつの視力が失われたことを悲劇だと嘆きつつも、陳腐なトリックで俺はあい
つの眼をごまかしたんだ。
ほとんど見えていないにもかかわらず、あいつは目いっぱいのオシャレをしてき
た。
俺のプランに文句の一つもつけなかった。
そんなお前に俺は釣りあえていただろうか。
ちゃんと気遣えていたか。
エスコートできていたか。
足りない点があったら言ってほしいんだ。
詮ない問いを遥か遠いお前に投げかけた。
宙ぶらりんになったそれを南風がさらってゆく。
結局何も変わってやしない、身勝手で残酷じゃないか……。
自身への投げかけはただその場に漂い、行き場を求めてもいなかった。
川岸に居並ぶカップルが嫌でも目についた。
最後のプランは頭の中でもみ消した。
もう若くはない。
おじさんとおばさんだけれど、昔をなぞりたかったんだ。
やめて正解だった。
鴨川のふちは歩きにくい、白杖を使うお前を見て初めて気づいたんだ。
舗装されたアスファルトですら危なげなお前に、自分の浅慮を知った。
これで良かったんだ。
過ぎ去った時は戻らないし、失ったものはかえらない。
俺は南風に背を向けて歩き出す。
どうか幸せであってほしい。
そんな簡単でキザなセリフが言えなくて。
まぶしい陽光が俺に影を落とす。
ぼんやりと北側の橋を眺める。
もう少し、歩くしかないか。
夏の太陽は、まだ沈みそうになかった。
編集後記
見えない今、大切な人に会う、相手は自分のこともうっすら耳にしている。
もし、突然そんなことがあったらどうしよう?と妄想することがあります。
先に気付いて隠れるなんてこともできないし、見つかったらそれが運命、受け止
めるしかないんでしょうね。
生成りのシャツさんが描かれた南風には大切なものがたくさん詰まっていました。
もう一人の登場人物、「俺」もまた切なさと温かさのある人だったようです。
「私」のストーリーを引き継いで、薄橙の背中さんがかつてと今を丁寧に描かれ
ました。
今回の物語、創作の中にも見えない・見えにくいならではのエッセンスがたっぷり盛り込まれていましたね。
色鉛筆だからこその取り組みの一つとして、またいつか素敵な物語をお届けした
いと思います。
―― このメールの内容は以上です。
発行:京都府視覚障害者協会 
発行日:2018年7月13日
☆どうもありがとうございました。


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