メルマガ色鉛筆第111号「鉄トーク」第3回

タイトル 「鉄トーク」第3回
メルマガ色鉛筆編集チーム
 関西在住の鉄道好き視覚障害者3名による「鉄トーク」第3回、最終回です。
 今回の最後の部分、そろそろおひらきにしようかというところでリニア新幹線
のお話が出てきます。「鉄トーク」出席者のリニア新幹線への思いとは…。
 「鉄トーク」出席者
○和泉さん:JRと第3セクターの全路線完乗が目標で、すでに99パーセント
以上を走破。車両の形式などは苦手なようですが、路線関係の情報はよくご存じ
の方です。
○難波さん:ローカル線の風景と気動車が好き。JRはもちろん、国鉄時代の車
両についてもよくご存じの方です。乗り鉄、食べ鉄、撮り鉄。
○宮城さん:いまだに昭和の鉄道の風景にあこがれを抱いているようです。国鉄
の時代についてはけっこうお詳しい方です。乗り鉄、飲み鉄、模型鉄。
 ここから「鉄トーク」第3回本文です。
 (機関車についている銘板や表示のお話から始まります)
○難波 機関車やったらナンバーの下に製造メーカーの銘板がついてたりするん
よ、「日立」とか「三菱」とか。
 例えば、DD51は川崎車輌とか日立とか三菱とかがつくってて、このナンバ
ーのDD51はこの会社がつくったんだよっていうのがあるねん。
○宮城 機関車には所属機関区の表示もありますよね。
○和泉 機関区、どういうことですか。
○宮城 例えば、この機関車のこの番号は高崎第2機関区所属とか、こっちのは
吹田第2機関区とか。
○和泉 なんてなんて、どういうこと。
○難波 機関車の側面の運転台窓下に札差しがついてて、そこに所属機関区の略
号を書いた札が差してあるんよ。
○宮城 高崎第2機関区だったら「高二」とか、吹田第2機関区だったら「吹二」
とかね。
○難波 今、吹田には機関区が一つしかないけど、昔は第1と第2に分かれてた。
高崎も第1と第2があったんよ。で、第1がディーゼル機関車で、第2が電気機
関車の機関区やったかな。
○宮城 そうです。高崎第2には上越線を走るEF58がいましたよね。
○難波 東海道・山陽タイプのEF58と違って、前の窓にツララ切りがあって、
汽笛にカバーがついてて、雪かきがついてる。
○宮城 そのとおりです。耐寒型っていうんですかね。
 鉄道車両って、同じ形式でも走ってる地域によってついてるものが違うじゃな
いですか。私は寒いところを走ってる車両が好きなんです、なんかいろんなもの
がついてて、重量感があって。
○難波 宮城さんのところは、やっぱり寒地型の模型が多いんですか。
○宮城 はい、多いですね。例えば、さっき言った上越タイプのEF58がある
んですけど、前の窓にツララ切りがあって、確かに汽笛カバーと雪かきもついて
ます。120号機で、日立の銘板がついてて、「高二」の表示もありますよ。こ
の銘板や表示はちゃんと検証してつけてくれてるみたいです。
○和泉 へえ、こだわりやなあ。
○難波 そのへんはやっぱりこだわるところですよね。
○宮城 福島と山形の県境に板谷(いたや)峠っていうのがあるんですけど、大
雪の中、その峠を越えていくEF71とED78の重連もすごく壮観でしたね。
その重連の引く列車を部屋で走らせて1人ひたってたことがあります。
○難波 わかります。寒いところの車両は一味違う。でも、あそこは今は山形新
幹線になってしまって。
○和泉 あのへんやったら、山形鉄道っていうのに乗りましたよ。
○難波 第3セクターやね。それってうさぎ駅長がいるところとちがうの。
○宮城 聞いたことありますよ。「もっちぃ」っていう名前のうさぎでしたっけ。
○和泉 そんなんいたっけか。前もって知ってたら会ってきたのになあ。
○宮城 山形鉄道って国鉄時代の長井線、いや、左沢(あてらざわ)線かな。
○和泉 昔の長井線ですね。奥羽線の赤湯を出て、今泉で米坂(よねさか)線と
交差して、荒砥(あらと)っていうところまで行くんです、ややこしいんですけ
ど。左沢線のほうは山形が起点ですね。
○宮城 なんかややこしいですね。でも、あのへんの路線の形を久しぶりに頭に
描くことができました。和泉さんはやっぱりこういう分野が得意なんですね。
○和泉 いやいや。でも、ほんまにややこしいんですよ。
 そういうたら、仙石(せんせき)線は乗ってへんわ。震災で海沿いのところが
運休してて、思いたったときに乗れへんかったんや。
○宮城 そうですか。仙石線は前は仙台駅が起点だったでしょう。今は仙台駅か
ら少し伸びて、あおば通っていう駅が起点になってるみたいです。
○難波 地下線ですよね。
○宮城 そうです。仙石線の仙台駅も地下になったみたいです。
 それにしても、仙石線は都会からのお下がりの電車ばっかりですよね。
○難波 そうですね。仙石線は直流電化やから、東京なんかで使い古された直流
の電車が走れるんですね。東北線は交流やから、東京の電車は走れへんねん。
○宮城 そうですね。仙石線はもともとは私鉄だったんですけど、戦争中に国策
によって国有化されたみたいです。それまでは宮城電鉄って呼ばれてました。う
ちのいなかのバッパは明治の終わりごろの生まれで、平成になってから亡くなっ
たんですけど、亡くなるまで宮城電鉄って呼んでましたね。
○難波 そういうことはありますよね。いなかのほうに行くと、お年寄りが「汽
車に乗る」って言いますもんね、ディーゼルになっても電車になっても。
 東北のお話が続いてますけど。
○和泉 あと、東北いうたら、やっぱり岩泉線ですよ。
○宮城 岩泉線は廃止になるんですよね。
○和泉 もう廃止になりました、山田線の茂市(もいち)から出てたんですけど。
○宮城 豪雨被害ですよね。
○和泉 はい。JR東日本は復旧する気はなかったみたいです。
 私が乗ったときは車掌さんが乗ってました。ぜいたくやなあと思って。
○宮城 へえ。岩泉線は単行なのに。
○和泉 いや、私が乗ったのは2両編成でした。
○難波・宮城 ほんま、ぜいたくやな。
○和泉 岩泉線は最高でしたね。
○難波 和泉さんは秘境の地が好きやもんね。
○宮城 そんなことを言ったら岩泉の人が気を悪くするかも。
○難波 あっ、そうやね。
○宮城 でも、乗りたかった線ではありますね。
○難波 ここから近いところの話になりますけど、岩泉線とは対照的に、運転休
止になってた名松(めいしょう)線は復活しましたね。JR東海は廃止にするつ
もりやったみたいやけど、よく残ったね。
○和泉 こんなケースはめずらしいね。
○難波 そうやね。地元がお金を出したのかな。
○宮城 名松線の「名松」はなんなんですか。
○和泉・難波 名張(なばり)と松阪。
○宮城 あっ、そうか。
○難波 計画の時点ではそのつもりやったんでしょうけど、今あるのは松阪と伊
勢奥津(いせおきつ)の間だけ。線名は名松線のまま。
○和泉 運転休止といえば、日高本線は復旧してるんかな。
○難波 いや、あれはもう廃線決定とちがうかな、津波対策のお金もないし。
○和泉 廃線か。残念やけどしかたがないかなあ。
 あそこは線路のすぐそばが海なんよ。すごいところを走ってるなあっていうの
を実感したね。
○宮城 海ぎりぎりですか。
○和泉 はい、ぎりぎりです。景色はいいけど、津波が来たらひとたまりもない
っていう感じですね。
○宮城 山陰線の長門市から下関のほうに向かうあたりも、けっこう海ぎりぎり
のところを走ってましたよ。
○難波 そうですね。私、そこを走る「みすゞ潮彩(しおさい)」号っていうの
に乗ったことがあるんですよ。そうしたら海が迫るところで何回か停まってくれ
て、見えてないんですけど、海が目の前にあるんやなあって感じました。
○宮城 海が近いというと、五能線も海岸線を走りますね。
○和泉 五能線、乗った乗った。
○難波 私は「リゾートしらがみ」っていうのに乗りました、青森から五能線経
由で秋田まで。天気がむちゃくちゃ悪くて、景色はあんまりよくなかったけど。
○和泉 そうなの。でも、五能線はよかったなあ。確かに海ぎりぎりのところを
走ってたなあ。
○宮城 五能線は高校のときに乗ったことがあるんですけど、そのときはキハ2
2っていうのが走ってました。
○難波 東北や北海道で走ってた寒冷地向けの気動車ですね。
○宮城 そうです。私も何年か前に「リゾートしらがみ」に乗ったんですけど、
キハ22とは比べものにならないくらい快適でしたね。
○難波 でしょうね。シートピッチがすごく大きくとってあって、座席もよくで
きてました。指定席料金を追加するだけで乗れるんですよね。追加500円ちょ
っとでこんないいのに乗れるんやったら、すごくいいなあと思った。
○宮城 車内販売のおねえさんも乗ってるし。
 それにしても昔のキハ22は今思えばちょっとね、懐かしいだけかなあ。
○難波 昔の車両にはすごく興味はあるけれども、車イスで乗るんやったら今の
ほうがいいなあって思いますね、バリアフリーやし。
○宮城 そりゃあ、そうですよね。
 五能線は、キハ22が入る前はハチロクが客車を引いてましたよ。さすがにこ
れは写真でしか見たことないですけど。
○難波 ハチロク。和泉さん、ハチロクってわかる。
○和泉 わからへん。
○難波 8620形っていう蒸気機関車。
○宮城 大正生まれの蒸気機関車です。
○難波 ハチロクは近代化の遅れたローカル線で走ってたから、SL時代の終わ
りごろになってもけっこうたくさん残ってたんよ。
 この近くに久宝寺(きゅうほうじ)っていうところがあるんですけど、関西本
線の駅なんですけど、そこに竜華(りゅうげ)機関区っていうのがあったんです。
50年ほど前、そこにまだSLが残ってて、その残ってた中にハチロクがあった
んです。
○和泉 ふうん、そんなん知らんかったわ。
○宮城 そんな近くにハチロクがいたなんて。竜華機関区は今はないんですよね。
○難波 なくなりました、私が小学校5年生のとき、昭和61年かな。
 もうそろそろ2時になりますけど、鉄道を好きになったきっかけとか聞いてみ
たいですね。
○和泉 本格的に列車に乗るようになったのはJRになってからかな。小学生の
ときにNゲージを買ってもらったりはしてたけど、そのころはそんなに鉄道に興
味があったわけやなかったし。
○難波 なんかきっかけがあったの。
○和泉 大学に入ってから旅をするようになって、楽しいなあと思って。そこか
らかな。
○難波 旅から始まったんやね。プラレールからとは違うんや。
○和泉 さすがにそれはないなあ。
○難波 私はプラレールから始まってる。
○和泉 そうやったんや。まあ、それもわかるけど。
○難波 宮城さんは何がきっかけで始まったんですか。
○宮城 仙台にいたころ、まだ小学校に入る前ですけど、うちの近所に元国鉄職
員のおじいさんがいて、そのおじいさんが東北線の踏切によく汽車を見に連れて
ってくれたんです。それが始まりかも。
○難波 それはまだほんとにSLが走ってるときですよね。
○宮城 機関車はあんまり記憶にないんですけど、貨物列車が大好きだったんで
す。あのころの貨物列車はいろんなものを運んでましたでしょう。
○難波 ワムとかトラとか。
○宮城 そうです。それから野菜とか材木とか、牛や馬が顔を出してる貨車もあ
りました。
○和泉・難波 へえ。
○宮城 コンテナ列車なんてなかったですね。いろんなものを積んだ貨車が通り
すぎていくのをずうっと眺めてました。私の汽車好きの原点は貨物列車ですね。
○難波 なるほどね。今はトラックが運んでるものを、昔は全部貨物列車が運ん
でましたもんね。
○和泉 きっかけもいろいろやなあ。
○宮城 最後、皆さんにリニア新幹線のことを聞いてみたいんですけど。
○難波 なんかほんとにただの移動手段ていう感じですよね。
○宮城 車内販売のおねえさんは乗ってなさそうだし。
○難波 レールの継ぎ目を渡る音もなさそうだし。
○和泉 スピード出しすぎ。
○宮城 リニアに興味を持つのは鉄道ファンじゃなくて、たぶん飛行機ファンか
な。
○和泉 でも、リニアは空は飛べへんから飛行機ファンとしては、ねえ、どうか
なあ。
○難波 そうやね。どっちにしてもやっぱりもっとゆっくり、のんびり行きたい
なあ。
○宮城 そうですね。新幹線はいちおうレールの上を走ってるから、まあ、オー
ケーっていう感じですかね。それにしてもリニア、あれはレールっていっていい
んですかね。
○和泉 どうなんでしょうね。ちゃんとしたレールの上を走る鉄道ほどには興味
はわかないかも。
○難波 鉄道的にはあんまり興味がわかへんね。
○宮城 今の発言を「鉄トーク」のシメにしておきましょうか。
○和泉 みんなリニアには興味がわかないって。
○難波 じゃあ、意見が一致したところでおひらきにしましょうか。
○和泉・宮城 そうしましょう。
○一同 きょうはどうもありがとうございました。
★「鉄トーク」全3回 おしまい
 編集後記
 「鉄トーク」出席者3名のリニア新幹線への思いは、やはり予想どおりという
ところでしょうか。この思いに同意される方も少なからずおられると思います、
特に旅好きの人であれば。
 でも、時代の要請を受けて鉄道は進化し続けています。のんびり旅をしたいと
いう人の言うことばかり聞いてはいられませんものね。のんびり派の人もここは
ゆずるしかなさそうです。
 列車の窓ごしに手を握り合って別れを惜しむ人々、何かと面倒をみてくれた同
席の見知らぬ人々、動き出した列車といっしょに走りながら窓ごしにお釣りを渡
してくれたお弁当屋さん…、この編集後記を書きながらそんなことを思い出して
いました。遠い日の風景、遠い日の記憶です。
-- このメールの内容は以上です。
発行:   京都府視覚障害者協会
発行日:  2017年12月15日
☆どうもありがとうございました。


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