メルマガ色鉛筆へ「見える私からのメッセージ」シリーズ第8弾

タイトル メルマガ色鉛筆へ「見える私からのメッセージ」
メルマガ色鉛筆編集チーム
 こんにちは、メルマガ色鉛筆編集チームです。
「見えない・見えにくい人の暮らしの中のあれこれを、見える人はどう見ている
のか」をテーマに、
晴眼者の皆様より色鉛筆のレポートへ感想コメントを寄せて頂きました。
ということで「見える人の声あれこれ」第8弾をお届けします。
今回の「見える人」は、女性3名です。
見える人の声22(60代 女性)
 第89号 「映画にまつわるエトセトラ」その1 その2
 いつもメルマガで皆さんの日常のあれこれを楽しく拝見させていただいていま
す。
今回は第89号「映画にまつわるエトセトラ」を取り上げてみました。
映画というと、まず「見るもの」とすぐに思ってしまいますが、今回の話題では
画期的なアプリであるユーディキャストのことが語られていました。
その技術的なことは全くわかりませんが、それによって映画は「見なくても」十
分楽しめるものなんだ、ということを私は再認識しました。
 考えてみれば、映画にはそれぞれの俳優さんたちの声、ストーリー、効果音、
バックミュージックなど
たくさんの音があるし、それらがマルチに響いて解説とともに話が展開していけ
ば面白いに違いないと改めて思いました。
 私は時々、ラジオで複数の人たちのドラマを聞いたり、ライブ録音やオペラを
聞いたりしますが、 その臨場感もなかなか良いものです。
でもユーディキャストはきっとそれ以上に、もっと映画の世界に引き込ませる力
をもっているのでしょうね。
こういうツールができて、様々なことがユニバーサル汎用になっていくのはとて
もうれしいことです。
あとは、使い勝手がよいように。これも願わずにはいられません。
技術の進歩は素晴らしくても、一部のデジタルに強い人たちだけのものにならな
いように、
気軽に相談できたり教えてもらえる人たちが身近にいる、そんな社会であってほ
しいです。
何か取りこし苦労のようですが、これもスマートフォンを持っていても、アプリ?
ダウンロード?
何をどうしたら良いのか操作がわからない世代からのメッセージです。
どうかこれからも新しい話題をたくさん聞かせてください。
楽しみに、刺激的に聞かせていただきます!
見える人の声23(50代 女性 研究者)
 メルマガ色鉛筆第87号「映画にまつわるエトセトラ 第2弾」 感想
 私は、映画を見ることが好きです。特に、映画館の迫力ある大きなスクリーン
で映画を見ることが好きです。
しかし、視覚障害を持つ方は、映像が見えない、もしくは見えにくい、
そういった中でどのようにして映画を楽しんでいるのか、興味が湧き、こちらの
メルマガを読ませて頂きました。
視覚障害をもつ方は、本による予習・復習や副音声の活用により映画を楽しんで
おられました。
そのために、何度も映画を見たり、情景を思い浮かべながら見たりするその楽し
み方は、
何度も何度もいろいろな角度から1本の映画を楽しみ、噛みしめているように感
じました。
 私は、これまで何本も映画を見てきましたが、何度も何度も楽しんだ映画はい
くつあっただろうかと思いました。
ただただ消化していく映画はとても勿体ない楽しみ方だったなと気付きました。
さらに、「初めての映画館のことを思い出していたら、楽しくうれしかった記憶
も一緒に出てきてくれました」という言葉がとても印象に残りました。
ただ「映画」を楽しむのではなく、その時の感情や一緒に見に行った相手との会
話・関係性など、その日・その時の思い出をひとまとめにして楽しみ、
映画はその楽しかった気持ちを思い出させてくれる引き出しの役割をしているの
だと思いました。
映画に限られたことではなく、娯楽をただ消化するのではなく、ひとつひとつ、
大切に丁寧に、
また工夫して楽しむこと、そしてその楽しみを誰かと共有することで映画そのも
のの楽しさだけではなく、
その時一緒に映画を見たその人との関係性をも含めた楽しみへとより一層膨らみ
ます。
娯楽はただ楽しむのではなく、それを介して人と人とのつながりを深め、
充実感・幸福感を育むということこそ大切であると再確認させていただきました。
見える人の声24( 女性 大学職員)
 メルマガ色鉛筆第60号に対する感想コメント
 私はバスを利用して外出することが多く、その際にはよく、高齢の方や白杖を
持っておられる方、
妊娠されている方など、配慮を必要とする方に出会います。
しかし、恥ずかしながら、声をかけるのを躊躇することがあります。
例えば、以前、白杖を手に持ってはいるのだけれどもあまり使うこともなく、ス
ムーズにバスに乗り込んで来られた方がおられました。
「見えにくいだけで見えているのだろう。それなら声はかけなくても大丈夫」と
思い声をかけずにいると、
近くにおられた女性が「ここ空いていますよ」と声をかけておられ、
その方は、「ありがとうございます」と座られていました。
私は、安易に手助けは不要だと判断した自分を情けなく思うと同時に、
手助けを申し出て断られることを嫌って声をかけなかった自分に気が付きました。
 “声をかける”ことには勇気がいります。
高齢の方に席を譲ろうとした際に、年寄り扱いするなと怒られたという話も聞い
たことがあります。
しかし、全盲の方が一人で外出するということは我々が想像する以上に勇気がい
ることであり、
そして、不安な時、周りの方に“声をかけてもらえた”ことで、どれだけ安心す
ることができ、
助けられているのかということを、このエピソードを読んで改めて実感すること
ができました。
我々にとっては単なる日常の外出でも、それを実行される勇気を考えると、
我々が声をかけることにモジモジしていることが、とてもちっぽけなことに思え
てきます。
障害の種類や程度、手助けの必要性は人によって様々で、我々がそれをすべて理
解することは難しいと思います。
しかし、だからこそ、“声をかける”ということが大切なのではないかと考えさ
せられました。
困っている方に気付き、自然に“声をかける”ことができ、
それによって自然とお互いが笑顔になる、そんな街に、国になればいいなと思い
ます。
ーー このメールの内容は以上です。
発行:  京都府視覚障害者協会 
発行日: 2018年1月19日
☆どうもありがとうございました。


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